Trip Report

米国南西部撮影旅行記


US trip map

1994年・夏の二週間、米国南西部撮影旅行に行きました。
レンタカーでモーテルを泊まりながら国立公園を回って合計約6、000Km。これはそのレポートです。

8/14/94 (1日目 - 日本)

この日は9:00AMに起床し、パンとコーヒーで朝食を取った。

ネットにサインオンし、メッセージのチェックをし、メールに返事をする。

荷物の最終チェックを行い、タクシーを呼んで10:00に家を出る。

中央林間から田園都市線で箱崎へ。箱崎でNorth Westにチェックインし、中華料理を昼食をとり、 カメラの電池を揃え、T/C $750と現金$200を両替し、12:10リムジンバスで成田へ出発。 成田へは13:20到着。喫茶店で時間をつぶし、15:00出国。 15:40 North West028便へ搭乗。North West028便は16:30に離陸した。 9時間8分でSan Franciscoに8/14 9:35に到着するとのこと。


8/14/94 (1日目 - 機内)

席の右隣はColoradoに住む白人の若い男性だった。ホテル等の庭の滝をデザインする アーティストだそうで、Thailandで仕事をした帰りだそうだ。

左隣は黒人のMarineだった。日本の岩国に3年間住んでいたとのこと。 軍人だけあって、体格ががっしりしている。

「私はコンピュータ会社のエンジニアで、2週間休みを取って西海岸と国立公園の写真を撮りに行くのだ」 というと、Thailand帰りのアーティストは「それなら次の機会は是非Colorado に来い。Rocky Mountainはとてもきれいなところだ」という。

写真展("Tokyo Bay Area"と"Tokyo Bay Area II")の作品で作ったポストカードのセットを2人にあげた。


8/14/94 (1日目 - 米国)

San Franciscoには9:40到着。入国審査と通関は全くノーチェックだった。 荷物も調べられなかった。私はよほど人畜無害の顔をしているようだ。

直ぐにHertzでレンタカーをCheck-outする。車はメタリックグリーンのFordのEscort だった。米国では、今、メタリックグリーンがはやっているらしい。 道を走っていても、この色はよく見かけた。

SF 1 San Franciscoの市街地方向に行き、次にRoute 1を南へ向かう。Route 1はCaliforniaの海岸線沿いの道路だ。 北から南へこの道路を走ると、右通行ということもあり、海 岸でいい風景があるとすぐに車を路肩に止めて写真を撮れるのでとても便利だ。 海岸線と、海岸線を背景にした街並みが美しい。次々と出会うBeachを撮影しながら南下する。 途中、Market Mallのスーパーでリンゴ、トマト、バナナ、水、コパトーン、Coorsを 買う。合計$20.32。また、バーガーショップでシーフードサラダ(ジュース付)も食べ る。合計$4.52。他にホストカードも買う。物価が安い。日本の1/2以下だ。 2週間も運転すると腕が日焼けで真っ黒になってしまうので,早速コパトーンを腕に 塗る。

Santa Cruz Santa Cruzの直前でウインドサーフィンの写真を撮影した。時間は16:30頃で、光る海 を背景にウインドサーフィンを本場のテクニックで操る絵は美しかった。

Santa Cruzに入った。ここはリゾートの街だ。遊園地まであって、ジエットコースター から歓声が上がる。グラマラスな美女とマッチョな男のカップルが多い。California はホモが多いと思い込んでいたが、思いの外健全だ。

さらにRoute 1を南下する。いつの間にか普通の道がフリーウェイになっている。

Monterey直前のSeasideで降り、モーテルを探してCheck-inする。

ここのカウンターの45才位の女性はフィリピンからの方だ。西海岸はアジア人が多 い。特に空港では多かった。この女性は千葉に知り合いがいるとか。

ホテルで買ってきた果物や野菜で簡単な夕食を取る。

実家とLAにいる両親の知り合いに電話をし、無事着いたことを知らせる。

22:15就寝。


撮影本数: PKR (135) x 6

走行距離: 160マイル (累計 160マイル)



8/15/94 (2日目)

この日は8:00AMに起床し、パン、リンゴ、バナナで朝食を取った。

朝は寒い。半袖と短パンだけでは身震いする。コーヒーを飲み、9:00にcheck-outして出発する。

Monterey 1 Montereyの公園でカモメを見つける。少しずつ寄って写真を撮ったが、2m位に寄って もカモメは逃げない。300mmのレンズには入りきらず、80-200mmの200mm側に切り換え、 さらに200mmでも一杯になるので、100mm程度でカモメを撮影する。3本程撮影する。 気が付くと、私の後ろで中年のカップルが私の撮影している所を見ていた。 女性の方が「まったく、驚いたわ。あのカモメ、あなたが場所を変えるとあなたのカ メラの方にちゃんと視線を向けるんだもの。多分写真を撮られるのが好きなのね」と言っていた。

Monterey 2 Montereyで、17 Miles Driveに入る。ここは、名前の通り、17マイルの有料道路で、 景色が美しい。Seal Rockでは、アザラシや鳥が集まっている島を500mほど離れた対 岸から観察できる。ここで、リスを接写した。画面一杯に写るリスの毛並みが美しい。

17 Miles Driveを抜けるのに手間取ったが、12:00にRoute 1 Southに乗る。 San Luis Obispoという町まで約120マイル。長い。森林を60マイル程走ると海岸線に 出た。途中、平原に一軒だけポツンとあるカソリンスタンドで給油する。

277マイル走って15.60$ (full service)。ついでに昼食も買う。ジュース、でかいサ ンドイッチ、ポストカード2枚で5.65$。やはり米国は安い。日本なら、カソリン5000円 (50$)、昼食1000円(10$)取られることだろう。おじいさん二人でやっているガソリン スタンドでとても愛想がよかった。

San Luis Obispoはハイウェイで通過。

San Luis Obispo 1 途中、空の半分以上が真っ黒になっていて、左手(東側)の山から桜島の噴煙のような ものが上がっていたので、火山の噴火かと思ったが、実際はAtascaderoという場所で発 生した山火事だった。まるで映画T2の世界のような風景だ。 San Luis Obispo 2 米国はスケールが大きい。途中、Route 101と合流し、101 South でSanta Barbaraへ向かう。

60マイル離れて、やっと火事の煙が薄らぎ、普通の青空に 出会えた。ラジオは「Route 41は山火事で封鎖。Route 101も4-5時間で封鎖の予定」 と放送していた。もう少し遅れていたらあぶないところだった。

101 SouthがRoute 1と合流し、海岸へ出る。東に向かうと、Santa Barbaraへ出た。 Santa Barbaraは落ち着いたリゾートだ。空室のあるモーテルを探して、18:30 Check inし、すぐに写真撮影兼夕食へBeachへ出る。西の空にあの山火事の煙が見え た。明日はもっと大きくなりそうだ。100マイル離れているというのに....。

レストランで、海老をガーリックで揚げたものとサラダ、マルガリータ、コーヒーを 頼む。合計20.90$。夜のネオンを撮影しようとするが、Santa Barbaraにはネオン自 体があまりない。ホテルに帰り、海外へ送るための切手がないか尋ねたら、ないと言 う。セブンイレブンで売っているとのこと。買いに行くと、自動販売機で25セント硬 貨5枚で40セント切手2枚が買えるようになっていた。手数料が45セントかかる仕組み になっている。手数料のかからない日本とは随分仕組みが違う。 25セント硬貨の手持ちが少ないので、2枚だけ買う。

モーテルに戻り、明日お世話になる予定のLAにいる両親の知り合いの家に電話し、 夕方到着することを連絡する。

24:30就寝。


撮影本数: PKR (135) x 14本

走行距離: 282マイル (累計 442マイル)



8/16/94 (3日目)

8:30AMに起床、昨晩セブンイレブンで買ったサンドイッチとジュースで朝食を取り、 荷造りをして出発。このモーテル、トイレのトイレットペーパー受けが壊れていると か、冷房がないとか、不具合だらけ。でも、他が満室だから仕方ない。 Santa Barbaraの港に寄り、ポストカードを投函する。

L.A.に行く途中、Carpinteriaという小さな町のBeachへ寄って写真を撮っていたら、 後ろから「オイ、オイ」という声がする。振り返って見ると、日系二世の人なつっこ そうな笑顔を浮かべたお腹の大きなおばあちゃんがいた。生まれてからずっと米国育ちで、日本に は'75年に一度だけ観光に来たことがあるとのこと。日本語が不自由なので、お互い に英語で話をする。

とても親切なおばあちゃんで、近くのTar Beachという、石油が出る海岸を案内して くれた。ここは石油が砂浜からにじみ出て、5m位の小さな丘のようなものが幾つか出 来ていた。沖合には、石油採掘のプラントがいくつかあった。

「カメラを何台も持っていたから、すぐに日本人と分かったよ。妹に合わせてやる」 というので、妹さんの家へつれていってもらった。

Carpinteria このおばあちゃんは、カドタさんという76才のおばあちゃんで、子供は全員で5人い る。2人の娘さんたちは近くに住んでいるとのこと。また、3人の息子さんたちは全 員ハワイにおり、広い農場で3人全員が家族とともに暮らしている。ここカルフォル ニアでは日本人はマイノリティだが、ハワイでは日系人が実権を持っているため、 ハワイに移住することにしたそうだ。

ハワイに行くことがあったら、必ず息子たちをたずねなさいと住所を教えてくれた。

妹さんは、74才でアボガドの農園を経営している。脳溢血の後遺症で、右半身がちょっと不自 由そうだったが、元気だ。ヤノさんという。自宅でメロンをごちそうになり、ア ボガドの農園へ連れていってもらう。メキシコ人4人がアボガドを採取していた。全部 で10エーカーあるそうだ。他に、花等を10エーカー程の土地で栽培してるとのこと。 野菜は年に一回しか取れないので、花の栽培へシフトしているそうだ。

カドタさんに、ババさんという人の花畑へ連れていってもらう。 今晩お世話になる予定の両親の知り合いへのお土産に花をもらう。ヤノさんの家へ戻り、昼食をごち そうになる。ごはんとWhite Tunaとアボガドとチェリートマトときゅうりの酢漬けだった。 13:00になり、L.A.に行かなくてはならない時間になり、アボガド4個(現在、アボガドが値上がりして、 普段1個数十セントが、1ドル数十セントするらしい)とチェリートマトをおみやげに貰う。

カドタさんに私の車がある場所まで送ってもらい、別れた。

Route 1を南に走り、途中Route 101に乗る。海が見えないので、南に曲がろうと思い、 Topanga Driveに乗った。日光いろは坂の様に曲がりくねった道だ。

後ろのスポーツカーがあおるので、道を譲る。後ろに車が続いているので、ちょっと スピードを上げて35mph (55Km/h位)に上げると、ハンドルを取られてガードレールへ 追突してしまった。14:30位のことだった。後ろを走っていたバンが止まり女性が "Are you OK?"と心配そうに覗いてくれた。近くの電話でHertzへ電話すると、近くの Hertzのオフィスで事故を報告すればよいとのことだった。空港に行けばHertzがあ るはずなので、Santa Monica経由でL.A.空港まで行く。

返却前にカソリンを満タンにし、事故をレポートする。事故車を全くチェックしなかったのには驚いた。 「チェックしなくていいの?」と聞くと、受付の黒人の男性は「オレの仕事は受付。事故車のチェック はメカニックの仕事だよ。車の外観だけ見ても中のことなんかオレには分からないからネ」。 この割り切り方、いわゆるBusiness Process Re-engineeringの成果だろうか?

車は最初のFord Escortのクラス(Class B)がなく、1クラス上のFord Topazになった。 値段はもちろん変わらない。保険に入っていたおかげで、問題なく車を交換できた。 追加料金もない。確かに、これでは顧客満足度は上がるだろう。日本だと時間をかけてチェックされるように思う。 サービス業では、日本よりも米国の方がはるかに進んでいるのではないだろうか。

LA 1 海岸沿いを走り、L.A.の両親の知り合いの家に着く。19:30頃になった。 この方は川喜田さんといい、20年前私が小学生の頃にうちの近所に住んでいた母の友人だ。 庭からは海が一望でき、素晴らしい眺めが堪能できる。

「車をぶつけて遅くなってしまいました」と言うと笑っていた。

夕食をごちそうになる。Daveというとても元気な犬がいた。川喜田さんによれば、 「頭はいいけど、性格が悪い」犬そうだ。しきりにじゃれつかれた。 他人にはなつかない犬だそうだが、私は気に入られたようだ。 私は何故か子供とおばあさんと動物だけにはもてるようだ。

生のコンビーフと野菜を夕食にいただき、風呂に入って寝る。

今日は色々あって、面白い一日だった。

23:30就寝。


撮影本数: PKR (135) x 2本

走行距離: 150マイル (累計 592マイル)



8/17/94 (4日目)

この日は朝5:00頃からなかなか寝つけない。 腹の調子が悪いようだ。正露丸と胃薬を飲む。 昨日張り切って食べ過ぎたのがいけなかったのかもしれない。

8:30頃に一旦起きるが気分がすぐれず、12:00まで寝ることにした。

12:30頃起きると、やや調子がよくなっていた。お茶と梅干しニ個を食べて、American Automobile Associationの事務所に川喜田さんに案内していただきNevada, Utah, Arizona, New Mexicoの地図をもらい、郵便局で切手を買い、Bank of AmericaでT/C 200$を交換する。

LA 2 この先の旅程が長いので、取り敢えず出発することにする。

14:30に川喜田さんの家を出発。P.C.H. (Pacific Coast Highway)を通り、San Diego までのBeachの写真を撮りながら南へ向かう。Laguna Beach, Carlsbed Beach, Cardiff Beach等がよかった。

San Diego 1 途中、道路から見ると夕日でオレンジ色になった空を背景に、Beachでくつろぐ人々が シルエットになっているので、車を止めて写真を撮った。父親と5才位の女の子がじゃ れついて、そのうち女の子が父親にキスをする瞬間を300mmで撮影できた。 隣では、10才位の姉らしい女の子が一人で海に石を投げてはしゃいでいた。

ラジオをつけていると、スペイン語が聞こえる。合衆国の南端に来ていることが分かる。 ここからメキシコまでほんの数十マイルだ。

ハイウェイの道路標識に、母親が子供二人の手を引いて走っているものがある。 「メキシコからの不法入国者がハイウェイを渡る場合があるので、注意して運転しな さい」という意味らしい。

San Diego 2 モーテルを探すが、なかなか見つからない。 19:30、San DiegoのRoute 5とRoute 8が交差するあたりにあるモーテルが見つかった。 Amexが使えないさびれたところだったが、税込33$だったし、体調が優れず他のモーテルを探す気力も出ないので、 このモーテルに決めた。 このモーテルの部屋からは外へ電話できないので、近くのドラッグストアで買物をする際に、心配されている 川喜田さんに無事San Diegoに着いたことを公衆電話で知らせる。

モーテルでは隣の部屋にメキシコ人らしい家族が泊まっていて賑やかだ。 今日は梅干し以外は水やお茶とゲータレードしか飲んでいない。 腹を壊した時は丸一日何も食べなければ自然と直る。今日一日の我慢だ。


撮影本数: PKR (135) x 3本

走行距離: 150マイル (累計 742マイル)



8/18/94 (5日目)

7:30起床。昨晩1.25$で買ったサラダをなんとか食べて8:00出発。 San Diegoの西の海岸側にあるCoronadoという島へ行く。

San Diegoの市街地の対岸から写真を撮っているうちに、Canon FD 20-35mm F3.5Lの 無限遠が出ていないことに気が付く。何らかのショックで鏡胴がガタガタしている状態だ。 この後の撮影は、バックアップに持って来たMinolta CLEのRokkor 28mm F2.8で広角系をカバー することにする。いつも頼りにしているFD 20-35mm F3.5Lが使えないのは痛い。

南へ走っていると軍事拠点が幾つかあった。ヘリコプターの残骸が放置されている風景を撮る。 近くを15名程の兵士が軍事練習中でトラックに集まっているところだった。 Coronadoの南端へ来た。メキシコ国境に行くことも考えたが、時間がないことや、 Hertzはメキシコでは保険が無効になることから、メキシコまで行くのは止めてArizonaへ向かうことにする。 今までひたすら南へ走ったが、これからはひたすら東へ走ることになる。

Route 5を30マイル北へ戻り、Route 8へ入る。 Arizona州のTucsonを目指して400マイル程ただひたすら走る。 1マイルは約1.6Kmだから、約650Km走ることになる。

California州を越えるとすぐにArizona州のYumaという町がある。 例年ヤクルトが春のキャンプを行う町だ。

ここは、日中はとにかく暑い。蒸し暑いというのではなく、「熱風」のような感じだ。 回りの風景は砂漠だけが果てしなく続く。約50マイルごとに集落のように町がある。 途中、ニ回給油する。 一回目の給油で、グレープパイとゲータレードを買い、昼食を取る。

クルーズコントロールで65マイルにセットして走ると、道が真直ぐなこともあり、 非常に楽に運転できる。

18:30、Tucsonの近くでモーテル6の表示が出ていたので、ハイウェイを抜ける。 モーテル6は米国旅行をした友人が「安くてサービスがよい」とお勧めだったところ。 しかしTucsonの街に入ってもなかなか見つからない。 途中Kマートに立ち寄りShuttet Bug (写真雑誌)と絵葉書を買う。 これも安い。絵葉書は一枚25セントだった。そのうち夕景が美しくなってきたので撮影する。

モーテル6は結局Route 8のすぐ近くにあった。ガソリンスタンドの奥にあって、見落 としていた。一泊税別33.95$だった。一人大人の追加が6$、17才以下の場合は無料。 セキュリティもしっかりしており、鍵には部屋の番号が書いていない。 部屋の設備もよい。

夕食を近くのPerkinsというファミリーレストランで取る。 サンドイッチとスープを頼む。体調は今日一日でほぼ戻った。

22:30に就寝。


撮影本数: PKR (135) x 2本

走行距離: 470マイル (累計 1212マイル)



8/19/94 (6日目)

6:45起床。朝食は、昨晩Kマートで買ったサンドイッチにトマトジュース、バナナに リンゴで済ませる。

New Mexico Tucsonのモーテル6から、New Mexico州のAlamogordoのモーテル6を予約してから、 7:30出発。さらに340マイル(550Km)内陸にあるWhite Sands国定公園へ向かう。 途中、一回給油。ガソリンスタンドで売っている"New Mexico"とレインボーカラー で刺繍された帽子がいいデザインなので買う。

New Mexico州には、軍のミサイルの試射場がある。途中、道の横にナイキ・ミサイル が見えたので、車を止めた。高さ15m位のナイキ・ミサイルに近づいてよく見ると、 ミサイルの目の高さの辺りに道の案内が書いてある。ナイキ・ミサイルの廃物利用だ。

14:30頃、White Sands国定公園に到着。Visitor Centerでカレンダーや国立公園ガイ ド、全米国立公園地図、ロスアラモスの本等を買い、他にお土産等も買う。

White Sands 1 15:00、White Sandsに入る。一面に白い世界だ。まるで雪が降ったようだ。 海の近くでも、このような真っ白な砂丘はあまりないだろう。 まして、ここは一番近い海からは1000マイル近く離れている。 この白い砂は石こうだそうだ。湖に溜まった石こうが干上がってこのようにな ったとのこと。この公園の白い砂は、他の国立公園の動植物と同様、持ち帰ってはい けない規則だ。

White Sands 2 パトロール中のレンジャーの写真を撮らしてもらった。レンジャーとは、国立公園・ 国定公園の園内のパトロール、動植物保護、人名救助、ツァーガイド等を行う。 また、国立公園は連邦政府の直轄地であり州政府から独立しているので、州警察 の権限が及ばない。そこでレンジャーは警察行為も任務の一つとして行っている。 必要に応じてピストルを所持したり、逮捕権も持っているそうだ。 写真を撮らせてもらったレンジャーは、50才位の背の高い実直そうな男性で、写真 を撮った後に"I am Charie."と握手してきた。「昔の南西部の男」という印象のか っこいい人であった。

White Sands 3 一旦、15マイル離れたAlamogordoへ行き、モーテル6へ17:00頃Check-inする。 一泊23.00$は安い。17:45、White Sandsへ戻り、夕景の写真を撮る。あいにく雲がかかっ ていて、オレンジ色の夕空はおあずけだったが、「夕方の砂漠の白い砂は、空よりも 明るい」ということを発見した。砂丘の丘の人々や、月を撮影し、19:00 Alamogordo へ戻る。Wendy'sのDrive-inでダブルコンボとCokeを買い、給油し、明朝のサンドイッ チとジュースを買う。コインランドリーがモーテルに付いていたので、溜まっている 洗濯物を洗う。あと一回洗濯すれば今回の旅行では足りそうだ。

いつもの通り、カメラ機材をチェックしていたら、Mamiya 6のファインダー系の採光 窓にヒビが入っているのを発見した。撮影には支障がないが、明日中にでも緊急措置 を行う必要がある。

22:30就寝。


撮影本数: PKR (135) x 5本, PKM (135) x 2本, PKR (120) x 3本

走行距離: 410マイル (累計 1612マイル)



8/20/94 (7日目)

6:30起床。サンドイッチで朝食をとり、7:20出発。 Arizona州とUtah州の間にあるMonument Valleyを目指して約400マイルの道のりをひたすら走る。 途中、道路の横を長い貨物列車が走っている見つけたので、 車の距離計で走りながら長さを計ったら、1.3マイル(2Km)あった。 Carrizozoという町を西へ曲がる時、鷲が動物の死体をついばんでいるのを発見し、 車を止めて撮ろうとしたが、すぐに逃げられた。しばらく空を旋回 しているところを撮影したが、そのうちいなくなった。Route 25を北上し、途中で Route 6 Westに乗り、Route 40に合流した後、Gallopという町を目指す。Gallopで 給油し、サンドイッチを買い、昼食を済ます。考えてみたら、今回の旅行の2/3以上 は食事をサンドイッチで済ませている。

昼食後、Route 666を北上する。Shiprockという町で西へ曲がる。ShiprockでT/Cを 100$交換し、Mamiya 6の応急修理のためのセロテープとメモ帳を買う。この辺りは Navajo (ナバホ) インディアンの居住区で、アメリカン・インディアンが多い。 彼らの顔付は日本人とあまり変わらない。道路から見る彼らの家は、プレハブの粗末 なものだ。彼らは元々この国の先住民だ。彼ら自身はどのように思っているのだろうか? 昔ながらの生活を続けたいと思っているのだろうか? それとも、もう世代が変わっ て普通の米国民の生活を望んでいるのだろうか?

町を外れた風景は、映画"Dance with Wolves"で見た風景そのものだ。 Monument Valleyの入り口の町、Kayentaには17:00頃到着する。 途中、Kayentaの2軒あるモーテルのうちの一軒が満室であることに気づきいやな予感がしたが、 夕刻も迫っているのでモーテルを探すよりも写真を撮るのを先にしようと考え、Monument Valleyへ向かう。 Monument Valley 1 道端の山羊等を撮影しながらMonument Valleyへ到着。壮大な風景だ。 夕暮れの風景や、満月を背景にした風景を撮影する。ドイツ人の観光客が大勢バスで来ていた。 Monument Valley 2 谷を見下ろす位置で写真を撮っていたが、太陽が沈む瞬間、谷底から砂混じ りの風が吹いてきた。どうもこの時砂がレンズの中に入りレンズのかみ合わせが悪く なったらしく、後でFD 80-200mm F4の絞りがF6.7からスムーズに絞れなくなってしまう。

Kayentaの町に戻った。残りの一軒のホテルであるHoliday Innも空いていないとのこと。

「じゃぁ、一番近くのホテル、どこにあるの?」 と聞くと、満面の営業スマイルで受付の白人女性が 「そうねぇ、ここから150マイル(=240Km)南に行ったFlagstaffじゃないと多分ないでしょうねぇ」 とのんびりと言う。この時、20:00。

この時点で、今夜は長くなりそうなので、ガソリンを給油する。 砂漠の真ん中で、誰もいない夜中にガソリンがなくなることは、非常に危険だ。

まずは腹ごしらえと、Pizza Hatでピザを食べながらガイドブックを読んでみると、 150マイル南に離れたFlagstaff以外では、50マイル北に行った場所にあるMexican Hat という町か、100マイル西に行ったLake Powellという湖があるPageという町しかなさそうだ。

Mexican Hatの方はガイドブックに書いてあったモーテルへ電話すると満室とのことだ。 ガイドブックにはPageにはモーテルが比較的多くあると書いてあるので、Pageへ行く ことにする。元々、翌日はこの町へ行こうと思っていたから、一日繰り上がる訳だ。 20:30にPageを目指し、Kayentaを出発する。

雷が鳴り雨が降る中を半分山道のように曲がりくねった道を走ることニ時間半、 Pageに23:00到着する。Best Western Hotelが"Vacancy"と出ていたので、受付に行く と、99$の3人部屋なら空いているとのこと。受付の女性は、"...but, it is veeeery big."と言う。「OK、それでいい」と答えると"Oh, you must be rich!"と言われる。

部屋はとてもきれいに整頓されていて、本当に大きいので驚いた。 ベッドルームが3つありそれぞれの部屋にキングサイズのWベッドが一個づつ入っている。 バスルームは2つ。システムキッチンがあり、冷蔵庫があり、ケーブルテレビが入っ ていて、ソファまである。これで99$は安い。これなら、カップル3組で来て、1週間 滞在しても、モーテル代は合計700$で済む勘定になる訳で、日本のレジャーと比べ、いか に安く上がるかよく分かる。疲れていたが、記念に部屋の様子を写真に撮る。

今日はよく走った。1000Km近く走った。タクシーの運転手でもこんなに 走らないだろう。1:30AM就寝。


撮影本数: PKR (135) x 4本

走行距離: 580マイル (累計 2202マイル)



8/21/94 (8日目)

9:00起床。本日と翌日以降の予定を立ててからバナナとリンゴで朝食を取り、checkoutする。 同じモーテルで別のもっと安い部屋を取ろうと思ったら、昨晩には空いていた58$の部屋は今朝 予約が入ってしまったとのこと。別のモーテルを探すことにし、 Reception横でコーヒーとドーナツをいただく。これはこのモーテルの無料サービス。 税別68$でちょっと高いが向かいのモーテルが空いていたので予約を入れ、Lake Powellへ向かう。

Lake Powell 1 昨晩真夜中に走っている時は気が付かなかったが、赤茶けた峡谷とダークブルー の湖面のコントラストが美しい。Lake Powellは、峡谷の間を走る川をせき止めて作 られた人造湖で、ダムを作ってから満水になるまでに17年かかったそうだ。 水の透明度もかなり高い。View Pointで写真を撮影し、Wahweapへ向かう。

Lake Powell 2 WahweapはLake Powellで遊ぶ場合の拠点だ。ヨットやボートのハーバーがある。 13:00からのRainbow Bridge Tourを申込む。58$は高い。お土産を買い、ハンバーガー で昼食を取り、13:00にツァーに出発。船で2時間かけてRainbow Bridgeへ到着する。 Rainbow Bridgeは、高さ88m・幅82mの巨大なアーチ状の岩だ。Utah州にアーチ状 の岩が集まっている国立公園があるが、そこにあるどの岩よりも大きいそうだ。

15:50、Rainbow Bridgeを出発。

Lake Powell 2 隣の席に、L.A.在住という出身地不明の30才位の男性と話をする。 とにかくおしゃべりで豪快、大声で話して大笑いしている。話していて楽しい。 髪が黒いことと全体の印象からメキシコ人かなとも思う。タヒチ等、色々と遊びに 行っているそうだ。「あの岩、58$の価値あったと思うかい?」と聞くので、「う〜ん、 あの岩だけだったら20$位の値打ちはあったと思うよ」と答えると、また「ウワッー、ハッハ」と大笑いする。 18:00、Warweapへ戻る。船は合計106マイル走ったということだ。 船の揺れが心地よく、途中眠ってしまった。

モーテルへの帰り、View Pointで再び写真を撮る。Market Mallで今晩と明朝のサンド イッチに果物、トマト、ジュースを買い、19:00モーテルへ戻る。 明日は陽が昇る前に南へ約100マイルのところにあるGrand Canyonに着き、写真を撮る予定だ。 モーテルの受付で明朝早い時間にcheck-outすることを伝える。

22:30就寝。


撮影本数: PKR (135) x 4本, PKM (135) x 1本, PKR (120) x 2本

走行距離: 16マイル (累計 2218マイル)



8/22/94 (9日目)

Grand Canyon 1 3:00起床。朝食を簡単に取ってから3:30にチェックアウト。朝のGrand Canyonを撮るために、 南へ110マイルほど2時間かけて走る。途中、South Rimの入り口手前で東に美しい明け方の空が見えたので、 三脚を立てて写真を撮る。朝早い時間なので、鹿のつがいが道端にいるのが見えた。

Grand Canyonには丁度朝日が昇った時に着いた。短パン、半袖という格好だったが、 どんどん寒くなるので上からジーパンとジャンバーを着て、写真を撮る。 雄大な風景ではあるが何となくもの足りない。他の場所に行ってもあまり変わりがな さそうだ。Grand Canyonはここまでにし、来た道を北に戻り、さらに200マイル北にある Utah州のBryce Canyonへ向かう。

Grand Canyon 2 途中、野生の馬が何頭かいたので車を止めて写真を撮り始めた。写真を撮り始めると 一斉に馬が皆私の方をにらむ。警戒してるようだ。背が低い馬ばかりで、170cm の私の方が背が高いので警戒しているのではないかと思い、ニコニコして、しゃがんで 撮影を始めたら、気のせいか馬達は警戒を解き、草をついばみ始めた。

途中、昨日滞在したPageで給油。Wall Martにも立ち寄る。安さにびっくりした。 さすが、"Everyday Low Price"と言うだけのことはある。帽子が5-6$。EOS Kissの米国版 (名前が日本と違う)がズームレンズ付で288$、デッキシューズが13$、しっかり としたマウンテンバイクが166$。Wall Martは安い米国でも特に安いと言われるが、 ことWall Martと日本の普通のデパートとでは、価格は3-5倍の開きがあるのではないか?

ただ、不思議なのは、私の使っているKodakのKodachromeはどの店に行っても日本の量販店よりも高い。日本製と米国製の価格がお互いに逆転している?

Wall Martで昨晩モーテルで「明朝3-4時にCheck-outしたいのだが」と尋ねた時に応対 していただいたフロントの女性に会った。50才位のとても上品な人だ。 「今朝Grand Canyonに行った帰りで、これからBryce Canyonに行くんですよ」と言うと、 「あら、私、Bryce Canyonの近くに住んでいたのよ」と言っていた。

Bryce Canyonへひたすら走る。Utah州に入ってから牛の放牧地が目に付くよ うになった。ゆっくり道を横切る牛もいる。

Bryce Canyonから30マイル程離れたHatchというとても小さな町でモーテルにCheck-in して、スーツケースを部屋に運び込む。

公園の入り口で久しぶりにステーキでちゃんとした食事を取り、Bryce Canyon国立 公園へ着く。Visitor Centerで「自然写真の撮り方」という本があった。中を読むと 作例写真が美しく写真の撮り方も親切に説明しているので購入する。

Bryce Canyon 1 Bryce Canyonは、想像していた通り美しい。赤茶けた見渡す限りの尖塔状の岩を見下 ろす格好になる。

写真を撮っていたら、置いていたカメラの所にリスが来た。撮ろうとしてピントを合 わせているとすぐに逃げる。逃げたリスは、近くで一人で遊んでいるドイツ人の8才 位の女の子の所に行く。女の子がリスに手を差し伸べようとしたところにピントを合 わせようとすると、またリスは逃げた。女の子と目が合って、女の子は肩をすくめて みせた。

Bryce Canyon 2 ここではハチドリも見ることができた。20m位離れた花が何かハタめいていたので、 300mmで見ると羽をハチの様にはためかせているとても小さな鳥がいた。 これもそっと近づいたら逃げてしまった。

帰り、公園入り口近くのGeneral Marketで今夜と明朝のサンドイッチとジュースを買 う。又、ホテルの近くでダートに入り、丘の上で夕暮れの空と満月が昇る東の空を撮 る。この道はふくろうかこうもりのような鳥が飛び交っていた。

20:00ホテルに戻り23:00に就寝する。


撮影本数: PKR (135) x 6本, PKR (120) x 4本

走行距離: 425マイル (累計 2643マイル)



8/23/94 (10日目)

夜明け前に起きるつもりが、起きることができず、結局7:00に起床。 サンドイッチを食べて7:40にHatchを出発。とても寒く車に暖房を入れる。

Zion Zion国立公園には9:00頃到着する。ここはスケールの大きい峡谷を下から見上げる様になっている。 Visitor Centerに行く途中、1910年頃に作られたというトンネルを通る。1.3マイル程 あり、中は真っ暗で一方通行になっている。レンジャーが入り口で無線で連絡を取り ながら車を交互に通していた。

Visitor Centerで「米国の鳥」という本を買った。今回の旅行で数多くの鳥を見たの で写真を整理する際に参考にするつもり。

下から見上げる格好になる巨大な断崖と真っ青な空のコントラストを写真に撮る。 峡谷の底は森林になっており川も流れている。樹々の清々しい香りもする。 森林の中を車でゆっくり走ると心が洗われる思いだ。

Zionも、Grand Canyonも、Bryce Canyonも、みんな峡谷だが、それぞれ個性があって 面白い。スケールで言うとこれは間違いなくGrand Canyon、繊細さで言うとBryce Canyon、清々しさで言うとZion、といったところだろうか。 住むことができるのであればZionがいいと思う。

Zion国立公園を出発し、St. Georgeという町でガソリンを入れて、Las Vegasへ向か う。Las Vegasのさらに先にあるDeath Valleyに直接行こうかとも思ったが、日程的に まだ余裕があるので、試しにカジノをやってみることにする。

Las Vegasに14:00頃到着し、ホテルを探す。Las Vegasはギャンブルの町だが、 思ったよりも治安がよい。子供達も通りで遊んでいる。観光客相手の町なので、治安には町全 体で特に気を遣っているようだ。

Circus Circusというホテルが豪華な割に40$で安いと聞いていたのだが、あいにく満 室。結局繁華街から離れたモーテル6へCheck-inする。30$だった。

荷物を置いてからCircus Circusへ戻り、ビュッフェで食事を取る。バイキング形式 で税別$4.99。料理は色々な中から選べるようになっていて、安い。

この町は一獲千金の夢を追ってか、他の町以上に色々な人種がいる。 もちろん日本人も多いが、韓国人、中国人以外にもパキスタン、インド、フィリピン 等から来たと思われるアジア人、アラブ人、欧州から来た人々、等々。

カジノでスロットマシンから始める。始めは5$を5セントx100に換え、5セントから始める。 気合いが足りないためか、すぐなくなってしまった。 次は、10$を25セントx40に換え、25セント用のスロットマシンをやってみる。 スロットマシンをやっている最中に、60才位のアメリカ人のおじいさんがバケツに 一杯の25セントを重そうに持ってスロットマシンを探していた。あの中には400$位入 っているのではないか。最初の30枚はすぐになくなったが、最後の5枚がなかなかなくならない。 「これが最後の1枚」と思ってやると、5枚になって帰ってきたりする。これを5回位 繰り返したが、結局なくなった。

今度は20$を25セントx80に換えてポーカーをやってみる。今回は調子がよい。最初、 一時30$位まで持ち金が増えた。しかしやはりジリジリと負けが込んできて、残りが 10$を切るとあっという間に持ち金がなくなってしまった。 結局合計35$使ったが、結構面白かった。

Las Vegasのホテル代が安いのは、カジノで儲けているからだろう。自分でやってみて 分かったが、持ち金が1.5倍位増えてもなかなか勝負が止められない。 カジノをやる人は、大勝ちするか、予算を全部スッてしまうかのどちらかではないか? 実際は後者が圧倒的に多いはず。そういえば、町を車で走っている最中に質屋を 見つけたことを思い出した。こういう町で質屋のお世話にはなりたくないものだ。

お土産屋で土産と明朝のサンドイッチを買う。

Circus Circusの中をブラブラしていると、夕方の目玉であるサーカス・ショーが始ま った。これは、カジノの天井を利用して、カジノを楽しんでいる客が空中ブランコ等 を楽しめるもの。もちろん無料。空中ブランコを見るのは初めてだ。何回か失 敗してネットに落ちていたが、実物はテレビで見るのとは全然違い迫力がある。

Las Vegas モーテルに車で帰る時は、もう日暮れだったが、夜のLas Vegasも美しい。 それぞれのホテルが東京ドーム程の大きさの敷地に立っていて、皆が「これでもか」 といった感じでイルミネーションを競っている。やっぱりカジノは儲かるのだなぁ、 と思う。イルミネーションがどぎつい。

ホテルには19:30に戻った。本来の旅行の目的は写真撮影だが、こんな日もあっていい と思う。

明日の支度をして、22:30に就寝する。


撮影本数: PKR (135) x 1本, PKR (120) x 1本

走行距離: 252マイル (累計 2895マイル)



8/24/94 (11日目)

5:00に起き、朝食を取って5:30に出発する。

朝のLas Vegasも、夜ほどでないが華やかで、人もまばらにいる。 Ballysというホテルのネオンが特に映えていたので写真を撮ろうと思って車を止めた ら、車から出ようとする前にセキュリティーが自転車に乗ってやってきて不審そうに 車の中を覗き込んだ。「このホテルの美しいネオンを撮りたいんだ」と言うと、カメ ラを持った無害な日本人だから大丈夫だと思ったのか、「わかった。あまり長くなら ないように」と言って、行ってしまった。昨日も感じたが、セキュリティがとてもし っかりした町だ。

Death Valley 1 Route 95を北に走り、Route 373を南に曲がったところでガソリンを入れて、Death Valleyへ向かう。まだ10:00だというのに暑い。ここは海抜下数十mになる。 両側の谷に挟まれて一種の対流現象が起き、いつも雲一つなく晴れていることもあっ て、低い場所になるほど気温が上がるような仕組みになっているそうだ。 世界で最も暑い場所の一つに数えられており、夏の昼間の気温は摂氏50度近くになる とのこと。各種ガイドには以下の言葉が繰り返し書かれている。

  1. 「水をたくさん持っていくこと」

  2. 「車が動かなくなったら、決して動かずに日陰で他の車が来るのを車の中で待ってい ること」

  3. 「車のオーバー・ヒートには常時気をつけること」
"Your own risk"ということだろう。 Visitor Centerではレンジャーが車で来ている観光客の相談に乗っている。 ここは本当に信じられない位暑い。3時間、水を持たずに行方不明になったら、本当 に命にかかわるだろう。

Death Valley 2 Zabriskie Point, Devil's Golf Course, Bad Water, Artists Palette等を見る。 Death Valleyの各地名は名前のセンスが秀逸だ。 Devil's Golf Courseとは、塩と泥が混りあって固まった岩でデコボコになった荒地の こと。悪魔でもここではゴルフなんてできないだろう。 Bad Waterとは、もともと塩水湖だったのが干上がって、見渡す限り真っ白な塩原にな っている。 Artists Paletteは、各種鉱石により、紫、赤、緑、黄、茶等、色々な色彩が交互に織 りなされている丘。

エンジンの温度が少しだけ上がってきたので、エアコンを切ったりしてエンジンに負 担をかけないように走っていたが、車内がガソリン臭くなってきた。シューシュー かすかな音も聞こえる。Death Valleyから少し上がって、標高1000フィート位の場所 で車を止めて車を点検してみた。後ろに回ってみて驚いた。ちゃんとガソリンの給油 口にふたをしてカバーもしているにもかかわらず、カバーからガソリンが噴出して いる。タバコを吸っていたら、下手をすると火だるまになっていたかもしれない。 ボンネットを開けて、ラジエターに水をかける等をして10分間程車を冷やすと、直っ た。ガソリン給油口を見ると、"Don't open the cover when hissing"と書いてあった。 hissingの意味を温度が下がるのを待っている間に辞書で調べると、「シューシューい う」という意味のようだ。このようなことは、米国ではよくあることらしい。 ガソリンが漏れたために、ガソリンの減り方が通常の2倍の速さでなくなったようだ。 早めにガソリンを入れておかなければDeath Valleyの真ん中でガス欠になるところだった。

Beattyでガソリンを入れ、Route 95でYosemiteの方向へ向かう。

Tonopahで西に曲がり、西に傾いた太陽に照らされながら走っていると、対向車の一 台がしきりにパッシングする。気を付けて運転すると、道路の右側に汚い格好をした 男が、マットのようなものを長く畳んで持ちながら立っている。車の速度を65mph (105km/h)から55mph (85km/h)に落としてさらに気を付けて走ると、男はスルスルと 車道に出てきた。対向車線に入って危うく避けることができた。当り屋のようだ。 砂漠の真ん中で、当り屋も命懸けだ。

California州に入る州境で、検疫があった。Utah州やArizona州の害虫のため、オレ ンジ等の柑橘類が持ち込めないとの説明だった。

Bentonという町でRoute 120へ入る。この頃、陽が暮れて西の空が美しい。 何回か車を止めて数本撮影した。

Yosemiteの東の入口の町であるLee Viningに到着したのは20:40だった。 65$の部屋を探してCheck-inし、今日三度目のガソリンを給油する。

今晩と明朝のパイとジュース、果物、野菜、ビールを買い、モーテルで洗濯をし、 22:30に就寝する。


撮影本数: PKR (135) x 6本, PKM (135) x 5本, PKR (120) x 3本

走行距離: 465マイル (累計 3360マイル)



8/25/94 (12日目)

Yosemite fire 9:00起床。ゆっくり支度をして、10:00 Lee Viningを出発、Yosemiteへ向かう。

途中山火事の後を見る。非常に大きな被害の後が残っている。 国立公園の説明では、近年山火事も生態系の中では重要なプロセスを果たしていることが分かり、自然発火 の山火事であればある程度の大きさまでは消火しない方針らしい。確かに焼け跡には 火事で土に戻った樹木の養分から育った雑草や草花などの新しい生命が芽生えている。

12:00、Yosemite Villegeへ到着する。Villege Storeで買物をし、バーガーとコーヒ ーで昼食を取る。ここYosemite VillegeにはThe Ansel Adams Galleryがある。 このギャラリーでヨセミテの風景写真で世界的に有名な写真家アンセル・アダムス のオリジナル・ネガからのプリントが125$で売っていた。売上げの一部を国立公園の 環境保全に寄付する仕組みになっている。日本のアンセル・アダムスのクラスのオリ ジナル・プリントの実売価格の1/20〜1/50位だ。一枚買い、メールオーダーも 日本から可能とのことなのでカタログも貰う。 日本の人達も、ヨセミテの自然を知るためにこのような作品を安価に購入できるようになればと思う。

Yosemite Lodgeに宿泊するために、キャンセル待に登録し、Yosemite Fallを見に行 く。あいにく水が枯れていて滝を見ることはできなかった。5-6月は雪解けの水が 勢いよく流れているそうだ。

他に、Tunnel View, Bridalveil Fall, El Captan等を見て、16:30にYosemite Lodge に戻る。キャンセルで空いた部屋をこの時点で知らせてくれる。 ホテルタイプの部屋が82.50$だった。ちょっと高いが、Yosemite Lodgeは滅多に泊ま れないので宿泊することにする。ちなみに、2人合計でもこの料金。3人以上だと、 一人追加ごとに8$だそうだ。

Clacier Point ホテルが取れたので、一時間かけてGlacier Pointへ行く。ここからはYosemiteの山々 が一望でき、眼下にはYosemite Valleyが見える。谷底の森が夕陽に斜めから照らされ る写真や、大きさ数百mの丸い岩をカミソリで真ん中からスパッと切ったようなHalf Domeが夕陽に染まる写真を撮る。撮っているうちに、隣で写真を撮っていたドイツ人 が、「どんなフィルムを使っているんですか?」と声をかけてきた。コダクロームだと 言うと、私はエクタクロームを使っている、と言う。OM-1, OM-4に200mmと75-300mmを 使っていた。Nikon F4を買いたいそうだが、重いのでどうしようか悩んでいるそうだ。 帰りに、西の空の夕暮れの写真を撮影する。

Yosemite Villegeに戻った頃には夜になっていた。車を道端に止めて夜空を仰ぐと、 まさに満天の星空だ。天の川もくっきり見えるし、短い間に流星がいくつも流れ、人 工衛星らしきものがゆっくり横切っていくのもよく見える。このような星空はしばら く見ていなかった。しばし、見とれてしまった。

Yosemite Lodgeのストアで夕食と朝食を買い、22:00部屋へ戻る。外は本当に真っ暗 で、みんな懐中電灯を持って歩いていた。こんな夜もいいなぁ、と思う。

24:00就寝。


撮影本数: PKR (135) x 4本, PKM (135) x 1本, PKR (120) x 1本

走行距離: 160マイル (累計 3520マイル)



8/26/94 (13日目)

6:00に起きて、朝食を取り、7:00出発。

Yosemite 1 早朝、Yosemite Villegeの真ん中にある野原に鹿の親子がいて、何かを食べていた。 白人の親子が10m位離れたところで写真を撮っている。父親は40代半ば位、息子は10代 前半。これが教育というものなのだろう。 Yosemite 2 父親は300mm F2.8を持っていた。同じくカメラに長いレンズを持っている私と目が合 い、お互いに目で挨拶した。昨日のドイツ人もそうだったが、写真仲間というのは国 が違ってもすぐ仲よくなれる。

南に車で一時間位行ったところにあるMariposa Groveに行く。ここには巨大なセコイ アがいくつもある。台湾から来た中国人一行がいて、とても元気だ。周囲15m位のセコ イアのところでは、ワイワイ騒ぎながら全員で手をつないでセコイアの回りをぐるり と取り囲んでいたし、イタリア人一行とすれちがうときは皆で手を振り回しながら 「イェーィ」などと叫んでいた。あの陽気なイタリア人達がタジタジだ。 ここで一番大きいGrizzly Giantは根元の周囲が29mもある巨大なもの。樹齢は2700年 で、まだ育っているそうだ。立て看板の説明によると、セコイアはどんどん育ってい くのだが、根が浅いためにある程度以上の大きさになると途中で倒木してしまうそう だ。近くに100年以上前に倒木したという巨木があった。倒木して横になっている根 がラッパのようになっていて、大きさは直径6-7mある。

Yosemite 3 セコイアに巣を作っているリスの写真を撮る。巨木の幹に開いている穴がリスの巣だ。 リスの動きは素早く、セコイアを守るために根元の周囲には近づけないようになっ ているため、ピントを合わせて撮影するのは難しい。

Yosemite国立公園を出て、一路San Franciscoへ向かう。

Wawonaという町からRoute 41でOakhurstへ出て、Route 49に乗り換え、Mariposaで Route 140に乗る。Gustineまで来ると、10日前によく見たCaliforniaの風景になった。

18:00に、San Mateoという町に到着する。ここでモーテル6を見つけ、Check-inする。 このモーテルには2泊する予定。San Francisco国際空港まで北へ10マイルだ。13日間 かけて、米国南西部を反時計回りに約4,000マイル走って、元に戻ったことになる。

食事をしていないので、近くの中華料理屋でスープ、チャーハン、煮野菜等を食べる。 本来二人分だが、ここ数日間サンドイッチかハンバーガーばかり食べていたこともあり、 全部楽々と平らげてしまった。ウェイターは「本当に全部食べられるのか?」という 顔をしていたが、全部食べたのを見て呆れていたようだ。

近くのドラッグ・ストアで買物をし、モーテルへ戻る。 今晩と明日はここでゆっくりとして旅の疲れを取ってから帰国するつもりだ。

22:30就寝。


撮影本数: PKR (135) x 3本, PKR (120) x 1本

走行距離: 285マイル (累計 3805マイル)



8/27/94 (14日目)

9:00起床。朝食を取ってからSan Franciscoへ向かう。Golden Gate Bridgeを渡り、 北岸を東へ回る。Sausalitoという華やかな港町だ。ヨットやボートが係留されている。 カモメが何十匹も舞っているところをフィルム4本程撮影し、もとの道を戻って、今 度は北岸に西側に行く。

2マイルも離れていないSausalitoは快晴なのに、Golden Gate Bridgeを境に霧がとても濃い。 静かなリゾートである東側と違い、西側は崖が高く道もアップ・ダウンが激しくカーブもきつい。 一通りぐるりと回った後、再びSausalitoの町に戻る。 バーガーショップでチキンのタコとエスプレッソを頼んでしばらくゆったりとする。 車をちょっと離れた所に置いて、今度は北岸から南岸を望んだ写真を撮る。 南岸のビル群の手前にヨットが青い海に浮かび、美しい。

SF 2 人々がくつろいでいる場所にはカモメが寄ってくる。自分でも不思議なのだが、何故 かカモメを見ると写真を何枚も撮りたくなる。

ここで何本か撮り、今回の旅行の撮影を15:30に終了した。

8/14から合計90本撮影した。残っているフィルムは17本。多めに持ってきたのだが、 計算よりもちょっと多めにフィルムを使った。

モーテルがある町に戻り、今晩と明日の食事を買い、ガソリンを満タンにして、モー テルへ18:00頃戻る。今回の旅行で最後の夜だ。荷物を全部整理してトランクに入れる が、写真集やカレンダー等をたくさん買い込んだため、なかなか整理しきれない。 フィルムのクーラーバッグ等、かさばるものは捨てざるを得なかった。

荷物の整理が終わり、今晩は時差ボケ防止のために早めに21:00頃就寝する。


撮影本数: PKR (135) x 8本, PKM (135) x 2本, PKR (120) x 2本

走行距離: 100マイル (累計 3905マイル)



8/28/94 (15日目)

8:30起床。よく寝た。身支度をして、9:40にモーテル6を出発。10:00過ぎにSan Francisco空港に到着する。レンターカーの返却は、オフィスの入口にあるQuick Return Counterで簡単にできた。

San Francisco空港は、やはりアジア人が多い。そのうち半分近くが日本人だ。

NW 027便へcheck-inする際、荷物が5ポンド(2.3Kg位)超過していると言われた。 超過料金を払うからいくらなのか、と聞くと、「231$だよ」と言う。 「200$!?」というと、「ノー、231$だ」と言い直される。どうすればよいのか聞くと、 スーツケースの中の荷物を5ポンド手荷物へ移せばよい、と言う。

途中で何冊も購入した写真集や本等でかなり重くなった様だ。 ちなみに、日本に帰ってから荷物全部の重量を計ると、50.5Kgあった。

スーツケースに入れていたカメラ、レンズを手荷物に移して、制限重量内に収める。

Cocktail Laungeでマティーニを頼んで一服した後、店で朝日新聞を購入して読む。 日本では特に大きな出来事はないようだ。 搭乗時間は13:30なので、まだ1時間程余裕がある。 ゲートに入り、サンドイッチとハイネケンを頼み、レストランで時間をつぶす。

今回の旅行ももうすぐ終わりだ。8/14に同じ空港に着いたのが1か月以上も前のよう な気がするほど、中身が濃い旅行だった。

山火事を見たり、車をぶつけたり、体調を崩したり、ホテルが見つからなかったり、 砂漠でオーバーヒートしたり、当り屋の男に出会ったり、と、色々なハプニングがあ った反面、コパトーンの香りのするビーチ、摂氏50度近くになる砂漠、標高3,000mの 森林、田園地帯、世界一豪華なギャンブルの街、素朴で静かな町、等、米国の様々な 面を見て、感じて、知ることができた。色々な人々とも出会えた。

今まで経験した旅行の中で一番充実した旅行だった。 きっと一生忘れない旅になるだろう。

North West 027搭乗のアンナウンスがあった。 手荷物を再確認し、米国を後にした。(終)