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■■■■『プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーへ!』■■■■
「写真がライフワーク」と考える写真家のためのメルマガ
                     http://www.takahisanagai.jp
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■■■今回のポイント■■■
今回は、第一の心得から第四の心得までの総集編です。

ちょっとボリュームがありますが、当メルマガのエッセンスが詰ま
っていますので、お時間がある時にじっくりお読みください。

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≫≫本メルマガについて≪≪≪

 本メルマガは、「ライフワークは写真」と考える方々に、
 プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーという生き方
 を提案します。

 7つの心得を順番に紹介しています。(詳しくは下記参照)
http://www.takahisanagai.jp/photoexhibition/psp/psp-backnumber.html

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第049号:2005/10/02
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■■■目次■■■
【第一の心得から第四の心得までのまとめ】
【皆様からのメッセージ】
【今後の予定】
【あなたの声を聞かせてください】
【『風の写真館コレクション』より】
【あとがき】

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【第一の心得から第四の心得までのまとめ】
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【第一の心得】
───────
『写真を趣味ではなく、ライフワーク、自己表現手段と捉え、「写
真とは何か?」を考え続けている』
───────

まず「職業的プロフェッショナルフォトグラファー」と「アート的
プロフェッショナルフォトグラファー」の違いを理解しましょう。


「職業的プロフェッショナルフォトグラファー」は、写真撮影の対
価としてクライアントから金銭的報酬を得ます。クライアントの要
望に合った写真を確実に提供することがカギです。

「アート的プロフェッショナルフォトグラファー」にはクライアン
トは存在しません。自分の価値観をいかに写真というメディアを介
して表現できるかがカギです。


写真以外の本業を持つ「アート的プロフェッショナルフォトグラフ
ァー」を、『プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファー』
と呼びましょう。


アマチュア写真家が、意志を持たずに漫然と写真を撮り続けてもプ
ロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーにはなれません。


「写真を撮る際に、明確な意志がない」
→「写真というメディアを通じて伝えたいメッセージがない」
ということでは、写真で自己表現し、他人に何かを伝えることはで
きないからです。

「何故、自分は、人生の限られた大切な時間を使って、写真を撮り
続けているのか?」と問い続けることが重要です。

プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーは自分の作品に
真剣に向き合わなくても生きていける、実はこのことが大きな落と
し穴です。常に安易な態度に流される危険性があり、それを歯止め
する仕組みを持たないからです。


そのためには『自己規律』と『自己確立』が求められます。


『自己規律』とは「自分の作品に対するプロフェッショナルな考え
方」であり、「作品を通して、自分自身の全人格が世の中から評価
されてしまう」事実を受け容れるということです。

写真は誰が撮っても同じ写真にはなりません。これが落とし穴で、
「この写真は自分にしか撮れない、自分自身のオリジナル、つまり
作品である」と錯覚してしまうのです。

撮影者は、撮影するという行為によってファインダー上に映る形に
「撮影者のメッセージ」を与えます。そのメッセージは、その人の
深層意識も含めた全人格的な思想でありその人にとっての真実です。

「写真は、まこと(真)をうつ(写)す」
の意味するところは
「写真はカメラというメディアを介して撮影者自身にとってのこの
世の真実(=メッセージ)を写し撮る」
ということです。

これは怖いことです。「発表する写真作品を通じて、自分自身が世
の中にさらけ出される」ということを理解し、覚悟と確信を持って
写真に取組んでいるかどうか、が求められます。


『自己確立』も重要です。

写真家は、世間や自分自身の問題と真正面から積極的に関わり、自
律した人間として、自分自身を確立しようと格闘している常識人で
あるべきです。

写真家のメッセージの深さは、被写体に関わる深さ比例します。
より深く被写体と関わるためには、自分自身がより成長することが
求められます。

例えば、ジェームズ・ナクトウェイという戦争写真家。

彼の写真の中にあるのは、強固な思想と、決定的瞬間の場で被写体
を介してメッセージを発信できる集中力であり、これらがあるから
こそ、人はナクトウェイの写真に心が揺り動かされます。

我々がこのような思想や集中力を身に付けるためには、何をすれば
よいのでしょうか?

逆説的ですが、写真から離れた本業の仕事を通じ、プロフェッショ
ナルとして世の中の問題と真剣に格闘し、関わり続けることなので
はないでしょうか?

仕事を通じて自分自身の思想・信条・理念を築き、密度の濃い仕事
を続けることで集中力も磨かれていきます。

プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーこそ、仕事のプ
ロフェッショナルとして、仕事に全力で取組み、仕事を通じ一人の
人間として自分自身を成長させ続け、世の中に対するモノの見方を
磨くべきだと思います。

「仕事はそこそこで切り上げ、浮いた時間を写真に費やす」という
発想は捨てるべきです。

本業のプロフェッショナルとして、仕事をアートと考え、仕事を通
じ心を込めて「作品」を生み出し続けることが、プロフェッショナ
ル・サンデー・フォトグラファーとして自分の写真作品を生み続け
ることにも繋がります。



【第二の心得】
───────
『写真を趣味ではなく、ライフワーク、自己表現手段と捉え、「写
真とは何か?」を考え続けている』
───────

なぜテーマが必要なのか?

それは、短い人生の中で、あなたの作品群が、あなたにしか撮れな
い、かけがえのない独自のモノになるかどうかのカギが、テーマだ
からです。

ただし、「最初にテーマありき」ではありません。

「これを表現したい」「これを作品に残したい」という強い衝動が
あり、その衝動を突き詰めていった結果がテーマに転じます。

骨太なテーマを5年・10年・20年・50年というスパンで追い
続け、積み重ねることで、あなたしか撮れない独自の世界を構築す
ることが出来ます。

頭だけで考えず、自分の衝動を基本に深堀していくことが、テーマ
発見の近道です。

但し、自分が感動したもの・好きなものを撮っていれば、それでよ
いのか、というと、必ずしもそうではありません。

多くのアマチュア写真家は、好きなものを単に数多く撮り続けてい
るだけで、骨太なテーマを持っていません。

テーマを定めるには、自分が得た衝動を出発点に、一つのテーマに
落とし込む必要があります。

そのためには、「言語化」という手法が有効です。

言語化は、表現したいテーマをシンプルな言葉で表現するために、
様々な言葉に置き換えて徹底的に考える方法です。このプロセスを
通じ、意識できない深層意識の底にある衝動を、自覚できる表層意
識まで浮かび上がらせ、テーマとして認識できるようになります。

具体的な方法としては、写真作品や写真展のタイトルを考えてみま
しょう。

自分の撮りたいテーマをタイトル化するプロセスがテーマをさらに
深めることに繋がります。深層意識を深堀することになるからです。

逆に、タイトルがなかなか決められない作品は、テーマ自体が十分
に定まっていない可能性があります。決まるまで寝かせることも検
討すべきです。

改めて「写真におけるテーマ」とは何でしょうか?

私は、

 「自分だけしか持っていない、被写体に対する想いを定めるもの」

だと思います。

単に好きなモノを撮り溜めているアマチュア写真家と、プロフェッ
ショナル・サンデー・フォトグラファーの違いが、ここにあります。

最初に強い衝動を経験し、一生をかけて取組む写真のテーマを見つ
けた方は、プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーの入
口に立っています。

自分の問題意識を高めることによって、そのような衝動に出会える
確率は高まります。



【第三の心得】
───────
『最高の作品を作る道具として撮影機材には拘る。しかし機材には
溺れない]
───────

表現するための道具、という観点で写真とカメラの関係を改めて考
えると、他の表現形態と写真・カメラは異なる点が見えてきます。


一つの視点は、写真を撮らない、「持つ喜び」を感じるためのカメ
ラがあることです。

ちょうど車に凝ったり、あるいは女性がバッグにハマるのと同じよ
うに、カメラには愛玩物の面もあるのかもしれません。


もう一つの視点は、機材偏向・技術至上主義です。作品自体の中身
ではなく、機材や撮影方法、現像方法等に拘るケースです。


ここでは、後者についてもう少し考えてみましょう。


写真は、その歴史がまだ200年に満たない、非常に新しい発展途
上の表現形態です。

20世紀前半、フランスで写真表現に革命を起こしたマン・レイは、
「何を撮るべきか」ではなく「いかに撮るべきか」を考えている写
真家が多いと延べ、

 「写真は最初のうちは技術に過ぎないが、やがては本物の芸術に
 なっていく」

と洞察しました。


このマン・レイの主張が、第三の心得のテーマです。自分の衝動を
表現するためには、何よりも大切なのは、第一・第二の心得で述べ
た通り、「何を撮るべきなのか」なのです。

重要なのは、

 手段(=「いかに撮るべきか」) と

 目的(=「何を撮るべきか」)

を混同しないことです。

機材は目的(「これを表現したい」という衝動)を達成するための
手段であり、機材という手段そのものが目的なのではありません。



ここで、一つ簡単なテスト。あなたは次のうちどちらでしょう?

「フォトグラファー」
→カメラを自己表現を達成するための手段・道具・消耗品と考えて
 います。

「カメラマニア」
→カメラを使って撮影するプロセス自体を楽しんでいます。
 カメラを持ち歩いて写真を撮ること自体に幸せを感じます。



実は、機材に拘ることは必ずしも悪いことではありません。

むしろ、「何を撮りたいのか?」が明確で、写真として残すために
必要であれば、徹底的に機材に拘るべきです。

写真に限らず、プロフェッショナルは皆道具に徹底的に拘ってい
ます。最高の作品を残すために道具に拘るのは当然のことでしょう。

 「弘法は筆を選ばず」

という言葉の真の意味は、

「一流の人間は道具に拘らない」のではなく、
「一流の人間は、一流の道具でなくても、一流の仕事が出来る能力
を持っている」ということです。

実際には、弘法大師は書体によって筆を使い分けたと言われますし、
一流と言われる人は、皆道具に徹底して拘っています。

結果に責任を持つプロフェッショナルであれば必然のことでしょう。

我々は、自分の衝動を出来る限り最高の状態で、写真で表現するため
には、どのような機材が必要か真剣に考えるべきではないでしょうか?



機材偏向・技術至上主義の落とし穴は、
この衝動を持たないままに機材に拘ってしまっている、
又は、当初持っていた衝動がいつの間にか機材・技術の追求に置き
換わってしまっている、ということではないかと思います。

私も試行錯誤を繰り返して現在の機材に至っています。
(詳細は第19号参照)
http://www.takahisanagai.jp/photoexhibition/psp/psp19.html

私が使用する機材も、今後の機材の発達と表現意図の変化に従って、
変わってくることと思います。



【第四の心得】
───────
『自分の選んだテーマでは第一人者としてプロと同等の技術を持つ。
但し、技術が全てでないことも知っている』
───────

偶然に任せてよい写真を撮ろうとするのがアマチュア。

必然性を高める努力を行い、よい写真を撮るのがプロフェッショナル・
サンデー・フォトグラファー。

その必然性を高めるために必要なのが『技術』です。



ここで言う技術とは、露出や構図等のハード面だけではなく、
「自分の衝動を的確に表現するためのプロセス」であり、「心得」
のレベルまで遡って考えていくべきです。そのベースは、自分の衝
動・パッションです。

「必要なのはパッション。技術は不要」

という極論も見受けます。しかしこのほとんどのケースは、一見ハ
ード的技術を軽視しているように見える巨匠の表層的な真似をして
いるだけです。

巨匠が、「自分の衝動を的確に表現するためのプロセス」である
「技術」を、幾多の葛藤を通して確立し生み出していることを見落
としています。(例えば、以下の森山大道氏の事例を参照下さい)
http://www.takahisanagai.jp/photoexhibition/psp/psp22.html


さて、「自分の衝動を的確に表現するために確立したプロセス全体
が技術である」という説明、分かりにくいですね。

具体的に見てみましょう。

例えば、ピント・構図・露出・シャッターチャンス等の、いわゆる
ハードウェア的技術が申し分ない写真が、深みのある写真か、とい
うと、必ずしもそうではありません。

ハードウェア的技術は手段であって、目的ではないのです。

より重要なのは自分の衝動を表現できるかどうか、なのです。

必然的によい写真を撮るための技術とは、ハードウェア的技術を必
修科目として身に着けた上で、撮影の前の構想力・調査力・企画力、
撮影時の集中力、撮影後の反省力全体を包含した、いわゆる
「ソフトウェア的技術」です。

ハードウェア的技術とソフトウェア的技術を包含したものが、
「自分の衝動を的確に表現するために確立したプロセス」としての
技術です。



ソフトウェア的技術を身に付ける際には、PDCAという、ビジネ
スの現場で活用されている考え方が参考になります。

Plan(企画)、Do(実施)、Check(結果確認)、
Action(対策)の頭文字を取った単語です。

最初に状況を分析した上で「企画」を立てて、企画に基づき「実施」、
「結果を確認」して分析、分析に基づき「対策」を立てます。

さらに対策に基づいて再度「企画」「実施」となる訳で、企画(P)
→実施(D)→結果確認(C)→対策(A)、といった流れを行い、
そこで得た経験を元にまたPDCAを行い品質を高めていきます。


写真にあてはめて考えてみましょう。


最初にPlan(企画)。自分は何を撮りたいのか、そのためには
何を行うべきなのか?を考えます。これには想像力が必要です。

偶然性の芸術である写真。当初想像していた通りの被写体に出会え
るとは限りません。しかし、Planして撮影していった作品群と、
惰性で撮影する作品群とでは、時間が経過すると決定的な差がつき
ます。


次にDo(実施)。つまり実際の撮影。

数分、数秒、又は0.1秒という瞬間をモノにするためには、
「この決定的瞬間は二度とない」という覚悟と集中力が必要です。

土門拳氏は、篠山紀信氏に、「篠山君、仏像はね。走っているんだ
よ!」と言ったそうです。

静かに古寺に鎮座している仏像の刹那を、土門拳はもの凄い集中力
で撮影していたのでしょう。


さて、Check(結果確認)に、プロフェッショナル・サンデー・
フォトグラファーと普通のアマチュア写真家を分ける決定的なポイ
ントがあります。

出来上がった写真で自分の衝動を表現できているのか、厳しい目で
認識することが必要ですが、これが非常に難しいのです。

ともすると自分の写真に対する評価が一番甘いのが自分だからです。

プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーに対しては、誰
も作品に対して厳しいことを言ってくれません。従って、自分自身
が自分の作品に対して一番厳しい批評家でなければなりません。

徹底的な「粗探し」が必要です。

単なる「ハードウェア的技術」の粗探しだけではなく、出来上がっ
た写真が持つメッセージを深く考えることです。

言い換えれば自分の作品の「写真の力」を計る作業です。

仮に今、この世を去るとして、

『自分の作品として写真を一枚だけ後世に残す場合、この写真を選
ぶのか? もし選べないとすれば何故選べないのか?』

を徹底的に考えることです。


最後に、Action(対策)。

「結果確認」を行う時には、どのようにすれば「対策」が取れるの
か、常に徹底的かつ具体的に考える必要があります。(詳しい具体
的対策の例は、バックナンバーを参照下さい)
http://www.takahisanagai.jp/photoexhibition/psp/psp26.html


このように、PDCAを一つずつ確実に行い、対策を次回の企画に
反映することで、PDCA→PDCA→PDCA→P....と繋げ、
ハードウェア的技術・ソフトウェア的技術を高め、作品を進化させ
ていきます。

とは言っても、Planの前に何をするのかを考えるのが先です。

このような方が現時点でまず始めるべきことは、写真に限らず他の
アートや仕事と同様、

・自分の目標となる写真家を見つけること
・その人に私淑すること

ではないでしょうか?

最初は真似る事から入ってもよいと思います。

しかし、単なる表現手法の真似だけに留まらず、師匠の考え方・哲
学までを深く理解していくことが必要です。

100歳を超える禅宗の僧侶が語った以下の言葉は、「真似」から
「学ぶ」ための心得を教えてくれます。

・真似を一日で止めたら、一日の真似だ
・真似を二日で止めたら、二日の真似だ
・しかし、一生真似を続けたら、それは学ぶということだ

「真似る」と「学ぶ」を考える場合、「守・破・離」という言葉の
意味も、併せて考える必要があります。

 ・ひたすら師匠の技を真似て、自分に取り込む段階:「守」
 ・師匠の技に自分なりの味を加えられる段階:   「破」
 ・さらに進んで自分流の技に発展できる段階:   「離」

最初は真似から学び、進化させていくことが必要なのではないでし
ょうか?

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【皆様からのメッセージ】
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皆様から届いたメッセージをご紹介します

●Hさんより

》 第七の心得について自分はいつも迷ってます、楽しんでいても
》 他人からみれば独りよがりでは無いかと云うことです、感動な
》 ど与えず押し付けていないかと?
》 今回の一文を自分のブログに引用させていただきました。
》 
》 http://henronin.exblog.jp/

》 次回、最終章と期待してます。

Hさん、ご感想ありがとうございました。
また、ブログにも掲載いただき、感謝しています。

「独り善がり」と「自己主張」は、重なるところがあると思います。

確かに仕事では、周りの状況を考え、「自己主張」を程々のところ
で折り合いをつけなければいけないですよネ。

しかし、アートの世界で自己主張はとても大切だと思います。
確かに一歩間違えれば独り善がりですが、万人が評価するアートと
いうのはあり得ません。

私は、独り善がりでも、自分が十分に納得されていればいいのでは
ないかと思っています。

ところで、Hさんの作品は、一貫した「鉄の華」という力強いテー
マで、見るものを圧倒します。皆様、是非blogをご一見ください。


●Mさんより

》 永井さん
》 すっかりご無沙汰しています。その節はありがとうございました。
》 その後も風の写真館やメルマガを楽しませていただいています。
》 今回のメルマガでチャーチルの言葉が出てきましたが、全く同
》 感です、と言いたくて久しぶりにメールを書いています。
》 
》 今、私は企業向けの研修やコンサルティングやっていますが、
》 テーマの中心がCSR、コンプライアンス、リスクマネジメントや
》 企業倫理など兎角観念的で分かり難いと批判を浴びがちなもの
》 なので、なおのこと、これらの必要性を自分が信じていなけれ
》 ば分かってもらい、行動を起こしてもらうことに繋がらないこ
》 とを痛感しています。
》 特に中小企業の場合はそうです。これからの社会を良くしてい
》 くために、持続可能なより良き社会を構築し、子孫に受け渡せ
》 ることが我々の世代の最大の責任だと確信し、細々と活動を続
》 けている次第です。
》 
》 畑違いの話で済みません。つい、我田引水になってしまいまし
》 た。
》 今後のご活躍をお祈りします。


Mさん、コメントをいただきありがとうございました。

ご指摘の点、全く同感です。
自分が信じて納得していなければ、説得を持ちません。
さらに言うと、誠実に生きるのであれば、自分が納得していないこ
とは、他人に説くべきではないのかもしれません。

会社という組織を離れたMさんのような志を持たれた先輩方が
世の中を変えようと活動をなさっていることは、とてもありがたく
思います。

職場のキーマンになりつつある我々の世代も、よりよき世の中にで
きるようにしたいですね。

そのためには、自分自身の理想と、自分の行っていることが一致し
ていることが必要なのではないかと思います。

現実は難しいからこそ、重要なのではないでしょうか?


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【今後の予定】
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以前よりお知らせしております通り、「第七の心得」を以って、本
メルマガは一旦一区切りとなります。

次号以降のスケジュールは下記の通りです。残り2回ですね。

 第50号:10月16日(日)配信
  全体の心得まとめ(2):第五の心得から第七の心得まで

 第51号:10月30日(日)配信
  今後のプロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーの姿

第52号以降は不定期で写真に関するメッセージを配信させていた
だこうと思っております。

引き続きお付き合いをいただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

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【あなたの声を聞かせてください】
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あなたのご意見・ご質問・ご要望を聞かせてください。

mailto:news@takahisanagai.jp

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【『風の写真館コレクション』より】
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今回は、「風の景色」シリーズから"Surfer's Paradise, Australia, 1996"で
す。

ゴールド・コーストにあるサーファーズ・パラダイスは、その名の通り世界中
からサーファーが集まってくるリゾートです。青い海岸でジェットスキーが波
に挑んでいました。

http://www.takahisanagai.jp/collection/News/collection-044.html

『風の写真館コレクション』への登録は下記でどうぞ。
http://www.takahisanagai.jp/collection/collection.html

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【あとがき】
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今回、改めて1年半前に当メルマガを始めた頃の原稿を読み返し、

「そうそう、こういうことを世の中に伝えたくて、このメルマガを
始めたんだよな。」

と懐かしく思い出しました。

今回はちょっと長くなりましたが、最後までお読みいただき、あり
がとうございました。

残り2回、よろしくお願いいたします。

では、また。

                          永井孝尚

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発行人:永井孝尚 mailto:mail@takahisanagai.jp

 『風の写真館』http://www.takahisanagai.jp で作品やコラム
 を掲載しています。よろしければお立ち寄りください。

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