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■■■■『プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーへ!』■■■■
「写真がライフワーク」と考える写真家のためのメルマガ
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 「プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファー」とは、本
 業を離れて一人のプロフェッショナルとして写真作品を撮り続け
 る写真家のこと。私の造語です。

 写真を本業にしていないからこそ、アート的プロフェッショナル
 ・フォトグラファーとして、一つのテーマを長いスタンスで追い
 続ける人達です。

 本メルマガは、「ライフワークは写真」と考える全ての方々に、
 プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーという生き方
 を提案します。

 全部で7つある心得を順番に紹介しています。現在は第三の心得。
 詳しくは下記を参照下さい。

<http://www.takahisanagai.jp/photoexhibition/psp/psp-backnumber.html>

 私も個展を中心に写真活動を続けています。
 写真のサイトもYahoo!のCoolサイトに登録いただきました。

 皆様と一緒に、プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファ
 ーの生き方を考えていければ、と考えております。
 よろしくお願いいたします。

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■■■今回のポイント■■■
今回は私の機材選びの例をご紹介します。
一貫性があるような、ないような、といった感じですが、ご参考に
なれば幸いです。

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第019号:2004/07/03
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■■■目次■■■
【掲示板開設のお知らせ】
【前号のポイント】
【第三の心得:私の機材遍歴】
【あなたの声を聞かせてください】
【『風の写真館コレクション』より】
【あとがき】

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【掲示板開設のお知らせ】

本メルマガ専用の掲示板を作ってみました。
書き込み大歓迎ですので、是非お気軽にご参加ください。

<http://takahisanagai.jp/cgi-def/admin/C-002/bb/visit/main.pl>

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【前号のポイント】

●写真に限らず、プロフェッショナルは皆道具に徹底的に拘ってい
ます。最高の作品を残すために道具に拘るのは当然のことでしょう。

●ところで、「弘法は筆を選ばず」という言葉があります。

●この言葉の真の意味は、「一流の人間は道具に拘らない」ではな
く、「一流の人間は、一流の道具でなくても、一流の仕事が出来る
能力を持っている」ということです。

●実際には、弘法大師は書体によって筆を使い分けたと言われます
し、一流と言われる人は、皆道具に徹底して拘っています。結果に
責任を持つプロフェッショナルであれば、必然のことでしょう。

●写真とは違う世界でもう一つ例を挙げます。多くのクラシック・
ピアニストは、スタインウェイという会社が作ったピアノを好みま
すが、ピアノの巨匠・リヒテルは、当時無名だった日本のヤマハを
好みました。

●リヒテルは、ヤマハの弱音の美しさ、音楽的感度の高さが、彼の
音楽に合っていること、素晴らしい調律師(技術者)達がいること、
等を評価し、ヤマハの調律師達に、調律だけでなく、照明、椅子の
高さ、ピアノの位置まで任せたそうです。

●気難しいことでも有名だったリヒテルは、自分が最高の演奏をす
るための手段としてヤマハを選びました。

●これらのことから、
  我々は、自分が持っている衝動を出来る限り最高の状態で、
  写真として表現するためには、どのような機材を使用すれば
  よいかを真剣に考えるべきである
ということを学べるのではないでしょうか?

●機材偏向・技術至上主義の落とし穴は、この衝動を持たないまま
に機材に拘ってしまっている、又は、当初持っていた衝動がいつの
間にか機材・技術の追求に置き換わってしまっている、ということ
ではないかと思います。

ということでした。

下記で前号について詳しくご覧いただけます。
<http://www.takahisanagai.jp/photoexhibition/psp/psp18.html>


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【第三の心得:私の機材遍歴】

それでは、「あるべき姿」を述べている私は、どのような考えで機
材を選んでいるのでしょうか?

私自身、試行錯誤をしながら今の機材に至っているのですが、今回
簡単にご紹介させていただきます。

私が初めて写真を撮るために中古の一眼レフカメラOM−1を買っ
たのは、高校2年生の時でした。

当時、私はカメラの知識がほとんどなく、回りの友人達が持ってい
たというだけの理由でOM−1を購入しました。実はニコンやキヤ
ノンというメーカーが存在することも知りませんでした。

私が本格的に写真を始めたのは、大学の写真部に入ってからです。
最初はOM−1を使用していました。

OM−1は小型軽量でスナップ撮影には最適でした。大学1−2年
の頃は、レンズはズイコー35/f2.8とタムロン90/f2.5
(あの「ポートレイト・マクロ」」の初代レンズ)の2本のみで撮
影をしていました。

東京・横浜を中心に普段は見られない都市のシャープな光景を表現
したいと思いました。この表現意図に合わせるために、ハイコント
ラスト・粗粒子で表現したいと考えました。

このため、撮影時には赤フィルターを使用してコントラストを出来
る限り上げ、青空の部分が黒く落ちるように撮影しました。

また、フィルムはトライXをISO1600まで増感して使用し、
D76現像液を希釈して自分用の現像データを作り、現像していま
した。現像タンクは、現像ムラが起きにくいと言われるマスコ・カ
ラータンク・プロを使用していました

当時の作品は、ホームページ上で「都市の光景」シリーズとして掲
載しています。

<http://www.takahisanagai.jp/photoworks/scene1981/scene1981.html>

このように撮影を続けていたのですが、かなり手荒くカメラを扱っ
ていたこともあり、故障することが多くなりました。

「故障せず、撮りたい時に確実に作動するカメラが欲しい」

と思いました。この要望を満たす選択肢は、プロフェッショナル用
一眼レフカメラであるニコンF2かキヤノンF−1の二つでした。

色々と悩んだ結果、部分測光機能が付いているキヤノンF−1を購
入しました。F−1の部分測光機能で、被写体で表現したい部分の
露出を正確に把握した上で撮影できるようになり、露出精度を上げ
ることが出来ました。

10万円近い買い物だったため、大学2年の夏休み1ヶ月間を現像
センターでバイトし、お金を貯めました。(ちなみに、写真技術も
身について、一石二鳥のバイトでした)

レンズはFD35/f2とFD85/f1.8の2本を用意し、こ
の2本を徹底的に使い込みました。

学生時代に35mmと85mm(または90mm)の2本だけを中
心に徹底的に使い込んだことで、この2本の距離感は深く私の身体
に染み込んでいるようです。

35mmは普通にモノを見る場合の視野にほぼ一致していますし、
85mmは人と話す際の相手を見る視野にほぼ一致しています。
今でも、私は写真を撮影する際には、この焦点距離がしっくりきま
す。

大学4年生の時に、卒業アルバムの編集に携わりました。この時の
機材は全て学校のものを使用しました。スナップ用にはニコンFと
F3、集合写真用にはゼンザブロニカSQ−Aを使用しました。使
用するレンズの種類も20mmからレンタルの600mmまで大き
く増えました。

初めてカラーリバーサルフィルムを使い始めたのもこの時期です。
大量の撮影経験を通じてリバーサルの使用方法を取得できました。
卒業アルバム製作という仕事を通じ、写真技術を深めることができ
たのはよい経験でした。

大学卒業後、しばらく写真からは遠ざかっていましたが、社会人に
なって3年目に写真撮影活動を再開しました。「個人で写真展をや
りたい」と思い始めたのもこの頃です。

幸い、学生時代と比べ、自由になるお金が増えたので、

「機材は出来る限り最高のものを使用し、機材を言い訳に出来ない
ように自分を追い込んで、撮影に臨もう」

と考えました。

そこで、カメラをキヤノン ニューF−1に変更し、常用レンズも
高性能のLレンズで揃えました。FD20−35/f3.5L、
FD80−200/f4L、FD300/f4Lが中心でした。

80年代後半から90年代中頃まで、シャープで発色もよいこの
3本のレンズで多くの作品を撮りました。

フィルムは、当時のフィルムの中で高画質で保存性も高かったコ
ダクローム64プロフェッショナル(PKR)を使用しました。
独自の渋い発色が魅力でした。

また、写真をよりシャープにするために、三脚使用の撮影が多く
なりました。三脚は色々と試したのですが、最終的にハスキーの
三脚を選び、現在でも使用しています。使い勝手と丈夫さに加え、
重量のある300mm望遠レンズを付けてもブレずに安心して使
えるのがハスキーでした。重い三脚ですが海外での撮影旅行にも
持っていきました。

1989年の"Tokyo Bay Area"と1993年の"Tokyo Bay Area II"
のほとんどの作品、及び「風の景色」のうち90年代前半までの作
品は、これらの機材で撮影しました。

ちなみに、写真展の時に「中判カメラで撮影したのですか?」と
の質問を受けたことがあります。意図した通りの高画質の作品を
残せたのは、上記の機材の選択がよかったためではないかと思い
ます。

「私の写真人生はこれらの機材と心中だ!」

と思っていたのですが、1994年、この考えを変えるきっかけが
ありました。

この辺りの経緯は、1999年にレンズCapaという雑誌に執筆
した私の記事に詳しく書いていますので、ここで一部を紹介させて
いただきます。

(尚、この時期、キヤノンは旧来のマニュアルフォーカスカメラと
並行して、オートフォーカスカメラのEOSシリーズを既に発売し
ていました)

 −−(以下、抜粋)−−−
 学生時代からF−1愛用者だった私は元々アンチ・オートフォー
 カス(AF)派で、EOS登場後もピントや露出は自分で合わせ
 るべき、という古風な考え方を持っていた。

 こんな私がAFに転向したきっかけは94年夏の米国南西部の撮
 影旅行だ。

 会社の休暇を使い、キヤノンFD系機材を大量に携行し2週間カ
 ルフォルニアのビーチや南西部の国立公園を廻って撮影していく
 うちに、マニュアルフォーカス(MF)でピントを合わせている
 間に絶好の被写体を逃す失敗を何回か繰り返した。私自身が望遠
 系を多用することも一因だった。

 今までは撮れなかったシーンはその場でキッパリ諦め次の被写体
 に向うことが多かったが、この時は本業を離れて2週間撮影に専
 念していたこともあり色々と考える時間があった。

 「機材を使いこなすことが私の目的ではない。失敗を減らして少
 ない撮影の機会をモノにし、いい写真を沢山撮りたい」

 という当たり前の結論に至ったのは旅も終りの頃。日本に帰る便
 の中では既に次のEOS系システムに思いを馳せていた。
 −−(以上、抜粋)−−−

ということで、1994年にマニュアルカメラからフルオートカメ
ラへ徐々に移行しました。移行先は当時オートフォーカス能力が一
番高かったキヤノンEOSシステムでした。

カメラボディはEOS5、EOS1nRS、EOS3を、レンズは
高画質の常用LレンズであるEF17−35/f2.8L、EF
28−70/f2.8L、EF70−200/f2.8Lを中心に
揃えました。

しばらくこの組み合わせで使用していましたが、問題が起きました。

90年代後半から2002年までは海外の旅行先で撮影することが
多かったのですが、このレンズ3本とカメラボディ2台を組み合わ
せると、かなりの重量になります。

海外旅行でのスナップ撮影はフットワーク重視ですので、重い機材
は行動範囲を狭めることになり、結果的にシャッターチャンスに恵
まれる機会が少なくなることになりかねません。

そこで2003年、新しい軽量Lレンズが発売されたのを機に、
EF17−35/f2.8LをEF17−40/f4Lに、EF
70−200/f2.8LをEF70−200/f4Lに、それぞ
れ変更しました。

これで1Kg以上の軽量化を図ることができ、機動力が大きく向上
しました。

重量800gの常用レンズEF28−70/f2.8Lの代替とな
る軽量Lレンズはまだ発売されていないのですが、発売されれば買
い替える可能性大です。

これらが現在の私のメインの写真機材ですが、これ以外にも下記の
機材を使用しています。

●ミノルタCLE、及びロッコール28/f2.8、40/f2、
 90/f4
これは撮影旅行に行く際に、必ずバックアップとして持って行きま
す。旅行先でメインのカメラが作動しなくなり、CLEを持ってい
たことで助かったことが何回かありました。これらのレンズは一眼
レフ用レンズをしのぐ位の高性能で、写真展用にも十分です。

●リコーGR1s(28/f2.8付)
スナップ撮影用に購入しました。外見はコンパクトカメラですが、
このレンズも非常に高画質です。

●マミヤ6(75/f3.5付)
一時期、中判に目覚めかけて購入しました。6x6の中判レンジフ
ァインダーで、使いやすくてコンパクトなよいカメラです。ただ、
やはり私は一眼レフタイプが合っているようで、次第に使わなくな
りました。

フィルムは、現在も撮り続けている"Tokyo Bay Area"はコダックの
コダクロームを、「風の景色」と"Graceful Flowers"は富士フィル
ムのプロビア及びベルビアを、それぞれ使用しています。

"Tokyo Bay Area"の場合、コダクロームの重厚な発色が私の東京湾
岸の空気感のイメージに合っていることと80年代からの撮影と一
貫性を持たせたいこと、「風の景色」と"Graceful Flowers"の場合
は、プロビア・ベルビアの鮮やかな発色が表現したい空気感とマッ
チしていることが理由です。

以上、第三の心得の最終回として、私の機材選びを紹介させていた
だきました。少しでも皆様のご参考になれば幸いです。

次回からは、第四の心得

「自分の選んだテーマでは第一人者としてプロと同等の技術を持つ。
但し、技術が全てでないことも知っている」

に入ります。

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【あなたの声を聞かせてください】

本メルマガは、読者の皆様と一緒に作っていきたいと思います。
是非あなたのご意見・ご質問・ご要望を聞かせてください。

<http://www.formman.com/form.cgi?gOifBUg2nMuZ8wtt>

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【『風の写真館コレクション』より】

今回は、Tokyo Bay Areaシリーズから、「屋形船 - お台場、1991」
です。

当時のお台場は今のような華やかな街ではなく、ひと気がない場所
でした。 手前には建設中のレインボーブリッジ、遠くには東京タ
ワー等の都心が見えるお台場の海を屋形船がゆっくりと漂っていま
した。

こちらでご覧いただけます。
<http://www.takahisanagai.jp/collection/News/collection-014.html>

『風の写真館コレクション』への登録は下記でどうぞ。
<http://www.takahisanagai.jp/collection/collection.html>

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【あとがき】

今まで本メルマガでは、写真機材の具体名は挙げずに、主に心得の
面をご紹介してきたのですが、今回はかなり詳しく書かせていただ
きました。

たまにはこのような回があってもよいかな、と思います。

私は写真展等では機材関連の話題にはなるべく触れずに、作品中心
の紹介を心がけているのですが、結構機材の話も好きなのです。

ただ、あくまでの作品あっての機材なので、その点は自分でも常に
意識していきたいと思います。

では、また。
                          永井孝尚

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発行人:永井孝尚 <mailto:mail@takahisanagai.jp>

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Copyright(C), 2004 永井孝尚


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